Clear Fetter Short Story
【】/香坂紅音
【悪い癖】/月野蒼依
恋の話に花を咲かせすぎて気づいたらもう6時。教室で友達と2人でああでもないこうでもない。そんなことが私にあるとは思っていなかった。もっとも、恋バナの内容の主人公は私ではないのだが。
「いい加減もう諦めたら?」
「あ!?」
目の前に座っていた紅音は突っ伏していた上半身を勢いよく起こした。窓から夕暮れが差して教室全体をオレンジに染めている。
「何!?何を諦めるの!?っていうか何も始まってないから!?」
「あんたが何も始めないからでしょ。…きっと桃綺君、もうあんたのこと絶対好きだよ」
「ぐ…いや…そ、それはないでしょ…」
「否定したって事実は変わんないからね。なーんにも踏み出さないならそんな恋は終わりだ終わり」
おわり、と悲しそうに反芻し、その後は一人でぶつぶつと、そんな、でもさあ、ここで女子から行くのはちょっと、と悩み始める紅音を見ながら私も悩み始める。
きっとあの彼のことだから、そんな関係になったとしたら。紅音を死ぬ気で守ろうとするだろう。―たとえ彼の命(クンツァイト)が退色しても。
自分を犠牲にしてでも誰かを守る。それはきっとかっこよくて素晴らしいことなのかもしれない。でもそんなの美徳じゃない…勝手に私はそう思う。この石を、力を手にした以上は自分の身は自分で守らなきゃいけない。それが仲間を見捨てろということじゃないくらい私にだってわかってるの。でも、自分を犠牲にして守ったその子が後を追わないって誰が証明できるの?その子が死んだ自分無しじゃ生きていけないことは100%ないなんて誰が言えるの?
また暗い暗い悩みに、私が私自身を貶める。ああ、また私の悪い癖。いつも私は人の悩みを重く悩む。ねえ、紅音、気づいてよ。私だって貴方の幸せを願いたいの。だから、せめて本当に平和な私達で居られるまで、あの人とは幸せにならないでいてよ。
【平凡に焦がれる】/月野翠
ピッ。電子音を鳴らす。ガコンッ。飲み物が落ちてくる。
「相変わらずそれかよ」
毎日同じ流れの中に、イレギュラーな聞き慣れた声が飛び込む。
「橙吾」
「糖尿病になっちまえ」
「紅茶飲みすぎて糖尿病になった奴なんか聞いたことねえ」
クラスが別れてから放課後以外で会うのは久しぶりだった気がした。更に言えば朝の駅のホームで会うのは初めて。
魔法を通じて高校から知り合った、所謂"仲間"。言葉にするとなかなか恥ずかしい。口に出したらきっともっと居た堪れない。
「あとこれストレートティーだから」
「甘さストレートなティーってか。それ甘すぎんだよ」
うるせえ、と呟くように悪態を軽く突く。初夏の朝特有の涼しいような、熱を孕んでいるような、なんとも言えない風が肌を掠める。
「昨日、また1個増えたんだってな?」
途端に魔法の話を出される。返事の代わりに無言でべろりと舌を出す。急いで作った金属物が歯に少し当たる。ちょっとむず痒い感覚に慣れるには少し掛かりそうだ。それを見るなり、橙吾はうげえと顔を顰める。
「よりによって舌ピかよ」
ピアス自体が好きではない彼は早くしまってくれと言いたげに手を払う。
「スプリットタンよりましだろ」
「それ大樹に言ったら」
「前に言った。スプリットタンする人ってあたしよくわからなあ~いって」
「キモ。んで?」
「うるせえ殴るぞって」
「だろうな」
俺はペットボトルのパッケージを見て、時々喉を潤しながら。橙吾はスマートフォンを弄りながら。早いキャッチボールのように会話する。普通の男子高校生。に、なれてるだろうか。
「今日珍しくはえーじゃん」
「当番」
何の、と言いかけたところでスマートフォンの画面をぐいと見せられる。画面近い。
「…誰これ」
無理やりピントを合わせて写真を見るとそこには見知らぬポニーテールの女子。健康的な肌の色、少し釣り上がった目、楽しそうに笑う顔、肩に掛けたラケットケース。
「3組の麻生。その人と体育館掃除一緒なんだよ、今日。声掛けたくてさ、そしたら遅刻なんかできねーだろ」
遅刻常習犯のそいつは捲し立て、得意気に鼻を鳴らす。あっそ、と呆れながらその写真を何気なくもう一度見ると、見慣れたセミロングの横顔が少しピンぼけて写っていた。
「…純」
「あん?」
何を話そうか、どんな子なんだろうと妄想を繰り広げる彼にとってはあまり心地よくないであろう名前。普段ならまだしも、こういう話題ドンピシャで名を挙げると流石に眉間に皺が寄るようだ。
「純の友達なんじゃねえ、この子。この写真どうした?」
そういうと何か思い出したのか崩れ落ちる橙吾。電車が近づいているのか、駅より一つ向こうの踏切の音が聞こえる。
「あーーーそうじゃんこれきくっちゃんに貰ったんだけどさあ…きくっちゃんて純の友達じゃん…つまり…麻生も…」
「まあ菊池とか純の例に漏れないな、ドンマイ」
「まだ告ってすらねえ、もうフラれたのかよオイ」
「えーもう告る予定なんですかぁ?気が早い男ってキモ~い」
「うっせーなあ」
ふざけている間に近づいてきた電車が間もなく停車する。馬鹿みたいなことしか言えない口を止めないまま電車に同じタイミングで乗り込む。朝の陽射しが窓から直接顔に当たって眩しい。
俺は、普通の男子高校生のままで居られるだろうか。このまま先もこうやって馬鹿やって大人になれるんだろうか。答えがNOなのはわかりきっている。大人になれるかどうかすらも分からない、かもしれない。それでも、俺はこんな奴と叩きあう軽い言い争いでさえ終わるのが惜しくなってしまう。それがどうしても悔しくて情けないのだ。